1906〜1947:第二鹿児島中学校

二甲の歩み

1906年(明治39年)鹿児島県立第二鹿児島中学校(二中)として独立

鹿児島中学校分校から「鹿児島県立第二鹿児島中学校」として独立・改称。二中創立記念日と定められ、創立記念式典が挙行されました。

この年を鹿児島二中、ひいては甲南高校創立の基準年としています。

1930年(昭和5年)二中校舎本館内部工事完了

二中校舎本館内部工事が完了し、新校舎へ移転しました。

1932年(昭和7年)寄宿舎・講堂竣工

12月1日に寄宿舎、講堂が竣工し、全校舎改築落成式を挙行。翌日2日に、創立25周年記念式典を開催しました。

1941年(昭和16年)忠魂碑竣工式挙行

忠魂碑竣工式を挙行。現在の「追思の碑」になります。

1945年(昭和20年)伊敷の連隊跡に一時移転

太平洋戦争後、二中校舎は米軍兵舎として接収され、学校は伊敷の連隊跡に移転しました。